2020/05/07

株式会社 博報堂
シニア PR ディレクター

数学科/1986年

2020/01/31 時点

プロフィール

1986年総合職として博報堂入社。男女雇用機会均等法施行1年前であったが、総合職としてマーケティング局研究開発部に配属される。2年の研究開発業務に従事した後、クライアントのマーケティングプランニングに携わるセクションに異動。
マーケティング職で約10年勤務したのち、PR・広報系のセクションに職種転換し異動。その後、約20年にわたり、PR・広報領域で、企業や商品のPR広報活動のプランニングから実施まで、幅広い領域(食品、飲料、化粧品、トイレタリー、自動車、電機、通信、大学・教育等)を担当。CSRや企業のトップ広報、危機管理広報なども経験多数。


メッセージ

広告会社に就職して、あっという間に30年。数学科出身なら統計に強いだろうという会社の大いなる誤解(?)で採用され広告の世界に飛び込みましたが、ここまで務めあげるとは思いもしませんでした。統計とは縁遠いPR・広報畑で続けてこられた原動力は「仲間とともに得られる一体感、達成感」に他なりません。

専門性の高い個人(PRパーソン、デザイナー、コピーライター、マーケッター等)がチームを組んで、それぞれのクリエイティビティを発揮し、クライアントの課題解決をとことん追求する仕事です。独りで完遂できる仕事はありません。常にプロジェクトをいくつか抱えていますが、それぞれメンバーが異なり、それぞれの仕事で「One Team」があるのです。「クリエイティビティで、この社会に別解を。」がキーワード。チームメンバーは年齢や職種は関係なく、誰もが発言し、自由闊達(かったつ)に、喧々諤々(けんけんがくがく)議論を重ねます。粒ちがいのメンバーとの協働は刺激的です。プロジェクトを達成したとき、それはもう最高の瞬間。青臭いけれど「仲間っていいな」と毎回思います。打ち上げの時の爽快感は何度味わっても飽きない。かけがえのない仲間がたくさんいる。つらいことも困難なこともたくさんあるけれど、仲間との達成感がこの仕事を続ける原動力なのだと。10年以上前になりますが、上海で記者発表会を実施したときのこと。日本では考えられない予期せぬことが同時多発的に起こりましたが、チームメンバーがそれぞれの領域を超えてクリエイティビティを発揮し、大成功に終わりました。それは目的を共有しているからです。誰もがその目的達成のために今どう動けばよいのか、を理解しているのです。夜の外灘(バンド)であげた祝杯は格別でした。

正直、津田塾で学んだことが仕事にどう役立っているのか、いまだにわかりません。しかし、津田塾出身者は「群れない」ところがあると思います。そこは仕事上、役立っているのかもしれません。チームである前に、一人の個人として存在するわけですから。

卒業して30年。バブル時代も社会人として経験しましたが、世の中大きく変わりました。モノの変化も思考の変化も。女性の働く環境も考え方も。スマホもネットも、SDGsもLGBTも。5千円の新紙幣の顔として津田梅子が登場する時代には、今一度、梅子の意思を確認し、「津田塾ならでは」のDNAを再確認するのもよいのではないかと思います。

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