2020/05/07

人財開発コンサルタント 
ユリコンサルティング合同会社 代表

英文学科/1984年

2020/01/31 時点

プロフィール

英文学科1984年3月卒業。レコード会社(東芝EMI、ユニバーサルミュージック)に合計31年勤務。主に洋楽、邦楽の音楽制作、マーケティング業務に携わり、マネージング・ディレクターを経て、自らのメンタル不調・休職・復職経験から、カウンセラーを志す。人事で従業員支援部門を立ち上げる。メンタルヘルス対策、社内相談室、キャリアコンサルティング、社内研修プログラム、等の体制を構築。2016年独立、音楽・エンタメ業界の組織や個人を対象に、メンタルヘルス、労務管理、ハラスメント対策、コミュニケーション等の働き方改革支援を行っている。


メッセージ

あなたのキャリアに大事なものは何?

「音楽と英語に関わる仕事がしたい」。津田で英語を学ぶ中、海外の文化やライフスタイルの虜となり、とりわけ洋楽が大好きでした。いつしか「海外の素晴らしい音楽やアーティストを日本に紹介する仕事がしたい」と思うようになり、選んだのはレコード会社。男女雇用機会均等法施行直前の1984年、そもそも女子の採用枠も無い中、奇跡的に入社するも、すぐに希望の仕事に就けるはずもなく、心折れそうになる日々。当時の私を突き動かしていたものは、とても明確なビジョンと自分を信じる強い気持ちでした。思いが通じないはずがない。私は根拠もなく信じていました。これが若さの特権で、その後仕事上でも大いに役に立つこととなります。

2年後に念願の洋楽担当に。具体的な仕事は、日本デビュー前の海外アーティストや楽曲をどうやってヒットさせるか考え、実行すること。日本語のタイトル、キャッチコピーをつけること。営業や宣伝はもちろん、小売店やメディアを巻き込むこと。アーティスト来日時は24時間お世話係として働き、予算の管理もしました。基本は人と人のコミュニケーション。音楽やアーティスト自身の魅力をどう伝えるかは責任重大でしたが、スーパースターから新人まで、才能あるアーティストとの出会いは刺激的で(フレディ・マーキュリーにも!)、海外出張も多く、毎日が発見、わくわくどきどき、夢中で働きました。

1998年をピークに音楽業界バブルも崩壊。結果がなかなか出ず、管理職になってからは求められるものも変わり、苦しく辛い自分との闘いの時期もありました。が、それでも30年以上、好きな音楽に関わる仕事を続けることが出来、とても幸せです。音楽に良いも悪いもなく、どんな音楽にも誰かの心を動かす力があり、弱っている誰かの支えになる。自分を信じられないことは多々ありましたが、音楽の力を疑うことは一度もありませんでした。時は流れ、インターネットの普及により音楽の楽しみ方も音楽ビジネスの形態も激変しました。労働時間やハラスメント等、厳しい社会の目にさらされ、好きだから何でも耐えられる、好きだからいくらでも働ける、そんな時代は終わりました。夢や希望を与える産業が持続可能であるために、自分の経験を生かして困っている誰かの支えになる、人の役に立つ、それがいまの私のキャリアビジョンです。

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