2022/09/13

早稲田大学
創造理工学部建築学科教授・建築家

数学科/1994年

2022/09/02 時点

プロフィール

数学科1994年3月卒業後、早稲田大学理工学部建築学科に学士編入し大学院まで進む。卒業後1年ほど設計事務所に勤務した後、文化庁の新進芸術家在外派遣員としてドイツのベルリンにあるStudio Daniel Libeskind(SDL)の事務所に勤務。派遣を終えた後もSDL事務所に残り、カナダのトロントでロイヤルオンタリオ州博物館の設計、アメリカのニューヨークでワールドトレードセンター他の設計競技や建築設計に関わり、2004年4月に帰国。藤井建築研究室 一級建築士事務所を設立。2014年から早稲田大学創造理工学部建築学科の准教授、2021年から同大学教授。


メッセージ

津田塾大学では、数学の位相幾何学(トポロジー)の研究を行い、大学院進学を考えていました。しかし、興味のあった建築を志し一念発起して早稲田大学建築学科に学士編入し、建築の道を歩むことになりました。現在は自身の設計事務所の仕事をしながら、早稲田大学で建築のデザインについて教えています。

津田塾大学での学生生活といえば2つのことが思い出されます。ひとつは友人に誘われてゴルフ未経験ながら無謀にも体育会ゴルフ部を設立し、個性豊かなメンバーの中で切磋琢磨することで尊重と多様性について学びました。ふたつめは夏休みの英国ケンブリッジ大学への語学留学です。英語を得意とする英文学科(現在の英語英文学科)、国際関係学科の学生の中で数学科からは私ひとりの参加でしたが、好奇心とやりたい気持ちを優先し、学びの多い貴重な機会を得ることができました。

これらのことは、数学から建築へと異分野に飛び込んだ後も私の人生の多くの場面で生きるヒントとなっています。津田塾大学で数学を学んだ時間は、建築を学ぶ上では遠回りをしてしまったと考えていた時期もありました。しかし、数学は独自の思考を形成している自分の個性・多様性と考え、今では学んだトポロジーを建築分野で展開できないか模索しています。また、卒業後に海外の設計事務所で実務経験を積んだこともそのひとつです。ベルリン・トロント・NYで設計活動を行い、勤めていた事務所でアメリカの同時多発テロで崩壊した世界貿易センタービル跡地の設計競技で1等を取ることもできました。津田塾大学で学んだ、人間の多様性を尊重すること、自由意志と好奇心を持ってチャレンジしすること、何事も挑戦して考えるという実践的な姿勢は、今の私をつくったと思います。学生の皆さんには、臆することなく多くにチャレンジし、飛び込んだ先で惜しまずに努力をすることで道を切り開き、女性が自分のプロフェッショナルを持って生きてゆくという選択肢について考えて欲しいと思います。

最後に、偶然にもふたつの母校・津田塾大学と早稲田大学のキャンパス計画を手掛けたのは同じ建築家・佐藤功一ですが、それぞれで違う周辺環境に応じて大学の計画がなされています。津田塾大学は森の中にあるような緑の多いキャンパスであり、このような落ち着いた環境で勉学に向き合えることは大変に恵まれていたと思います。これからもこの環境を是非大切にしていただければ嬉しいです。  

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