2024/03/06

拓殖大学
名誉教授

数学科/1976年

2024/03/06 時点

プロフィール

数学科1976年3月卒業後、大学院に進学。数理論理学を専攻。その後、中学校・高校・短期大学・大学で情報及び数学教育に携わる。2000年、イリノイ大学コンピュータ・サイエンス学科デジタルコンピュータ研究所(DCL)客員研究員。現在の専門はデータ解析及び情報・数学教育。主な著書に『こんな数学やってみませんか?-101の課題-』(東京書籍)、『新編新しい数学(文部省検定済教科書)』(東京書籍)、『文科系学生のためのデータ分析とICT活用』、『大学生の知の情報スキル』、『この数学、いったいいつ使うことになるの?』(いずれも共立出版)等多数。『この数学、いったいいつ使うことになるの?』は、Hal Saunders著『WHEN ARE WE EVERGONNGA HAVE TO USE THIS?」を津田塾OG3人と共に翻訳した訳書。


メッセージ

今でこそ、女性の時代、リケジョなどともてはやされる傾向がありますが、1970年代頃の女性の生き方にはかなりの制限があり、男性と平等に働ける職業は、教員または医者しかないと言われて育ちました。女性は常に就職氷河期だったのです。新卒の雇用は卒業時の経済状況に大きく左右されますが、私の時にも突然不況が起こり、友達が就職活動で右往左往していたのを覚えています。私は大学院に進み、その後、中学・高校・短大・大学、つまり小学校以外のすべての学校種で情報及び数学教育に携わりました。

公立中学校で見た、家庭環境に恵まれない生徒たちと、教育に情熱を傾ける教員の姿は、私の人生の中の強烈な印象として残りました。短期大学は、もともと戦後、経済的に恵まれず大学へ進学できなかった苦学生や、社会人のキャリアアップのための教育機関であり、そのため経済・経営学科・工学科等が多く、男子学生がほとんどで、二部(夜間)が多かったことを知りました。私の勤務した短大もその流れを汲む短大で、社会人が多く、夜間に煌々(こうこう)と電気をつけて授業を行いました。現在は、大学の政経学部でデータ解析及び情報教育を担当しています。

武蔵野の雑木林に囲まれた美しい環境のなか、津田塾では、何を言われた訳でもないのですが、活躍する先輩たちや先生方を見ながら、誠実であること、頑張ること、努力することのすばらしさを感じていました。だからこそ、その後も頑張れたような気がします。人生にはいくつもの壁があります。挫折があり妥協がありますが、その時その時を精一杯生きることです。大切なのは周りからの評価ではありません。生き方を決めるのは自分自身であり、自分を見失うことなく生きていくことが大切です。人生の主役は自分自身なのですから。

最近、日本学術振興会科学助成金研究プロジェクトで、イギリス・フランス・ドイツ・フィンランドの大学及び教育省をまわり、視察及びインタビュー調査を行いました。世界中の津田塾の先輩や後輩の活躍はすばらしく、その際には本当に助けて頂きました。母校・津田塾に感謝! 津田塾で学んだことを誇りに思っています。

もっと読む