2021/03/19

医療法人 藤盛レィデーズクリニック
事務長

英文学科/1972年

2021/03/15 時点

プロフィール

英語個人教師の傍ら1990年9月ボランティア日本語教室を開設。秋田県生涯学習審議会委員を経て1997年4月~2005年3月迄2期8年間秋田市教育委員。その間2度秋田市教育委員長及び秋田県市町村教育委員連合会会長に就任。1997年から9年間、県総合政策審議会委員・部会長。その他県男女共同参画審議会初代会長。国際系大学設置検討委員会委員。秋田市情報公開・個人情報保護審査会委員。2017年春の藍綬褒章受章。2020年3月迄22年間(独法)国立高等専門学校機構秋田工業高等専門学校非常勤講師。(公益大学法人)国際教養大学外部評価委員他を務める。

現在:秋田県選挙管理委員会委員。秋田県明るい選挙推進協議会会長。(公財)明るい選挙推進協会理事。秋田県社会福祉協議会理事。(公財)秋田県育英会理事。秋田テレビ番組審議会副会長など。同窓会秋田支部支部長。


メッセージ

高度経済成長期の終盤、一流企業に内定した同期生たちに卒業後のことを聞かれる度、社会貢献をしないまま家庭に入る道を選んだ私は、津田の卒業生として後ろめたい気持ちに駆られたことを覚えております。

夫の転勤に伴い、所縁のない新潟市や富山市での9年間の年子の子育ては“育自”でもありました。帰郷後は、富山時代のnative speakerからの学びの喜びを継続すべく、秋田大学で数年間にわたり科目等履修生として米国人客員教授の講義を受講。依頼され自宅で大学受験生までの個別指導にもあたりました。1990年県婦人会館(現在の女性会館)で、外国籍住民の支援のため、仲間と県内初の草の根の日本語教室を開設。日本語指導法が確立されていなかった当時、日本語教育能力検定試験合格を目指して、東京や仙台でのセミナーに通い指導者資格を取得。県の推進事業にも関わりました。一方、県からの助成金を得て受講したPacific Universityでの夏期講座 Intercultural Communication は津田で醸成された知的好奇心を刺激するものでした。

1992年、文部省(当時)委嘱事業のフォーラムでの事例発表を機に、1999年制定の男女共同参画社会基本法を受け県の条例策定後は男女共同参画審議会会長を務め、県総合政策審議会の部会長や秋田市教育委員長から現在の県選挙管理委員に至るまで、多分野にわたる審議会委員や理事として意思決定の場に参画。単なる追認機関ではないことをスタンスに、与えられた機会を生かすよう努めてきました。

ここ10年間は18歳選挙権年齢の引き下げ(2016年施行)を視野に、県明るい選挙推進協議会会長として、高専での教育現場体験を結び付けることこそが使命と考え、高校生を主体に主権者教育に取り組んでおります。時に行政間の厚い壁に、ひるみそうになりながらも、“公の為”と考えると一歩踏み出すことができます。「汝何のためにそこにありや。」秋田高校時代の鈴木健次郎校長の言葉が意識下にあるからかもしれません。

夫の開業とともに10代から90代までの心身の不調を訴える女性たちや、sexual minorityの方々に向き合うようになって17年。公職の責務とのバランス維持は、自分らしく生きることなのです。津田先生の教育理念の下、社会の信頼を築いてこられた同窓生の活躍に感謝し、晩熟の私はもう少し力を尽くしたいと思います。

顧みれば卒業時の小論のテーマはminority グループのひとつJapanese Americansでした。“多様性が社会を豊かにする”ことが認識され始めた今、多様な生き方に誇りを持ち、御自身の道を切り拓いていかれるよう願っております。

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