2024/03/12

株式会社暮しの手帖社
編集者

英文学科/2004年

2024/03/11 時点

プロフィール

2004年4月、独立系映画配給会社に就職。翌3月、株式会社キネマ旬報社に転職、10年間にわたり、映画雑誌『キネマ旬報』の編集にたずさわる。2014年8月、株式会社暮しの手帖社に転職、奇数月25日発行の生活誌『暮しの手帖』編集部に在籍中。


メッセージ

少し前、仕事で鷹の台に行くことがあり、ついでにと立ち寄って、門の外から校舎を眺めました。ハーツホン・ホールは堂々として美しく、かつて通った頃のまま。卒業から20年の年月が流れたとは、思えませんでした。

対して、私はといえば、この間にいろいろなことがありました。当時は想像も予定もしていなかったことばかり。ずいぶん遠くへ来たものだ、というのが正直な感慨です。私は新卒採用で、その頃人気だった映画配給会社に内定を得ました。在学中に培った英語力が生かせる、買い付けの仕事です。しかし入社してみると、どうにも社風になじむことができず、わずか1年で退職することに。その後、『キネマ旬報』という映画雑誌の編集部に籍を得て、なりゆきで雑誌の編集者になりました。

新卒で勤めた会社を辞める時には、挫折感や焦燥感がありました。留学までしたのに、英語力がむだになってしまう、そんな思いに苦しみました。

けれど、時を経て振り返ってみれば、それは小さなことだったとわかります。留学を通して得たものは、英語力というよりはむしろ、マイノリティとして外国で暮らしたことそのものであり、その大変さ、心もとなさを実感できたことは、その後の私の人生にとって得難い財産だったと思うからです。

今の会社に転職したのは10年前。現在は『暮しの手帖』という雑誌を作っています。戦後すぐに発行された生活誌で、誰におもねることなく読者に向き合って誌面をつくるという理念のもと、創刊以来、広告を取らないポリシーを貫いて、現在に至ります。料理、手芸、旅、社会問題......。生活に関係するすべてのことがテーマになり得るので、つねに企画の種をさがす毎日です。

プライベートでは、この20年の間に、結婚し、10年生活したのち離婚をして、現在は別のパートナーと暮らしています。2024年に5歳になる男の子がいます。

選択的夫婦別姓を実現する運動をしていて、法律婚はしていません。「自立し、自由に生きる人間であろう、そうできるはずだ」という信念も、女性を力づけてきた津田塾大学で、「女性らしさ」を押しつけられることなく伸び伸びと過ごすうちに、育まれたものだと思います。

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