2024/03/06

専修大学国際コミュニケーション学部
特任教授

英文学科/1984年

2024/03/06 時点

プロフィール

英文学科1984年卒業。専修大学国際コミュニケーション学部特任教授。国立国語研究所日本語教育長期研修修了後、文化外国語専門学校日本語科、マレーシア国立マラヤ大学、国際交流基金日本語国際センターを経て現職。国際交流基金在職中に、バンコク日本文化センター、ジャカルタ日本文化センターに赴任し、タイやインドネシア、近隣諸国の日本語教育支援に従事する。日本語教科書『まるごと 日本のことばと文化』(入門A1~初中級A2/B1、国際交流基金著、三修社発行、2013年~2015年刊行)、『あきこと友だち』(タイ、紀伊国屋タイランド)、『にほんご☆キラキラ』(インドネシア、Erlangga社)などの制作に関わる。津田塾大学「日本語教授法演習」(1995年~2004年前期)に出講。


メッセージ

入学する前から文化人類学者のエッセイを読み、異文化の中での生活に憧れていた私は、津田塾ではアメリカ研究を専攻し、アジアからの留学生と交流するサークルに所属しました。当時、学内には留学生がほとんどおらず、都内の日本語学校や他大学の留学生を寮に訪ねたり、ハイキングを企画していっしょに出かけたりしていました。留学生の背景となる各国事情や日本との関係などをもっと知るために勉強会を開いたり、留学生やサークルの先輩、関係者にインタビューし、ミニコミ誌を作ったりする活動も行っていました。留学生との交流から、自分にとっては母語である日本語を外国人に教える日本語教師という職業があることを知り、興味を持ちました。そして、言語学の先生のご紹介で国立国語研究所の先生を訪ねたことがきっかけで、卒業後に国語研で日本語教育の基礎を学び、日本語教師の職に就きました。

日本語を1つの言語として見ること、自分が外国語を学んだように留学生が日本語を学ぶプロセスに関わることは、新鮮で刺激的な経験でした。今は、国際交流基金という文化交流機関で、外国人日本語教師の研修を中心に海外の日本語教育の定着、発展を支援することに携わっています。日本国外で仕事をする機会にも恵まれ、いくつかの国で外国人として生活する経験もしました。

私が日本語教師を志した頃は、まだ日本語教育を学べる大学はほとんどなく、職業としてもほとんど知られていませんでした。日本社会が外国人を積極的に受け入れるようになってきた今、この仕事やこれまでの経験が様々な形で役立つ可能性があることを実感しています。先人や前例が少ない分野でも、関心を持ったら飛び込んでいく、そこで出会った人たちと力を合わせて新たな道を作っていく、こんなことをあまり気負わずに続けてこられたのは、津田塾の風土や授業、サークル、そして先生や友人たちとの日々があったからだと思っています。

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