2024/03/07

読売新聞東京本社
文化部 記者

英文学科/2004年

2024/02/06 時点

プロフィール

2004年3月に津田塾大学学芸学部英文学科を卒業。同年4月に宮崎放送(宮崎県)に入社、アナウンス部配属。TVとラジオで、バラエティー・情報番組のMCを務め、夕方のニュース番組のキャスターを担当した際は国政選挙や台風被害、東国原知事誕生などのニュースを伝えた。自分で記事を発掘したいという志望動機で新聞記者を目指し、08年9月退社。同年の秋採用試験を経て09年4月読売新聞東京本社入社(記者職・新卒採用)。横浜支局に配属され、神奈川県警を担当。横浜市内10警察署が持ち場で殺人事件や交通事故等を取材した。その後経済、県政などを担当。新聞の見出しをつける東京本社編成部を経て、17年12月から地方部内信課へ。2023年10月に地方部川崎支局(2021年4月~)から東京本社文化部に異動。TVやラジオを担当している。


メッセージ

宮崎放送(宮崎県)で4年6か月、アナウンサーとして勤務した後に読売新聞東京本社に入社し、取材記者として働いています。現在は東京本社の地方部内信課という部署で、主に環境省や東京五輪・パラリンピック、外国人人材を担当しています。

地方部内信課は、地方が現場の「遊軍」。大雨、台風、噴火など災害に加え、大事件、大事故などがあれば被災地、現場へ急行して取材・出稿し、1面、社会面等に掲載します。こうしたストレートニュースばかりでなく、新聞社が行う文化、美術普及事業、インターハイ、イベントなどにも対応し、スポーツや文化事業への貢献という公共性の高い新聞社ならではの取り組みの報道にも携わります。事件事故があれば様々な予定はキャンセルになり、現地で取材に没頭しますが、それもまた充実していますし、緊急の案件がなければ自分の興味やその時の社会の動き次第で自由に取材できる部署です。筋トレが趣味でボディーメイクの大会にも出場していて、「筋トレブーム」の記事を社会面に掲載したこともあります。

アナウンサーの頃より、自分の仕事が活字によって紙面で目に見える形で結実することに、とてもやりがいを感じます。時には悲しい取材もありますが、名刺1枚あれば、話題の方や活躍している方に会って話を聞けるのも魅力で、元気や勇気を貰うこともしばしばです。

先輩にも恵まれました。「迷ったら、しんどい方を選べ」「報われるまで努力するんだよ」。私がくじけそうになると、厳しくも温かく励ましてくれたり原稿についてアドバイスしてくれたりする先輩も多いです。

学生の皆さんには想像しづらいかもしれませんが、今が一番充実し、楽しいです。仕事も趣味も自分が選んだ好きなことをし、好きな友人とつきあい、好きなように時間を使う。津田塾時代、英文学の授業で女性の自立について書いたヴァージニア・ウルフの「自分だけの部屋」を読み、こんなふうに生きたいと思ったその通りになりました。

学生の皆さんには、親の希望や「世間」からの受けを気にして、既存の枠組み、モデルケースに合わせるより、自分の心に正直に生きて、興味のあるものには臆せず挑戦してほしいです。津田塾では、在学中は課題の厳しさばかりが気になりましたが、振り返れば先生方は深い教養に基づき、どんな生き方や興味関心も尊重して、自由を教えてくれていたように感じます。学業成績は底辺でしたが(笑)、津田塾での4年間は、私が社会で生きていく上での礎になっています。

もっと読む