2020/05/07

フリーランス
会議通訳者

国際関係学科/1992年

2019/10/26 時点

プロフィール

1992年3月国際関係学科卒業後、外資系証券会社を経て、外務省派遣員として在ジュネーヴ日本政府代表部に勤務。帰国後、社内通訳者として従事する。9年間の海外赴任時も含め、現在はフリーランス会議通訳者。津田塾大学で特設された「翻訳・通訳プログラム」の「通訳入門」の非常勤講師も務める。


メッセージ

子供の頃から、なぜか外国のドラマや映画、本が大好きでした。生まれ育った地元は正真正銘のド田舎で外国人などいない世界。中学生になり、憧れの「あちらの世界」には英語を話せるようになれば身を置くことができるのではないか?と思い始めました。

そうして入学した津田塾大学。最初はもちろん打ちのめされました。行ったことがないという意味では「外国」も「月」も同じと思っていた私にとって、帰国子女や留学経験がある学生がどれほど眩しくみえたことでしょう。

今、母校の教壇に立ち、改めて思うのが、津田塾の学生は今も昔も勉学に対する姿勢が素晴らしい。関心を抱いたら、自らが積極的に取り組むのですから。そういう学風が背を押したのでしょう。圧倒的な実力の差に愚痴を言ってもしょうがないから、日本にいながらすべてを英語中心の生活に変えました。今思うと、通訳の基礎トレーニングもどきを毎日していたわけです。その甲斐もあり、英語への苦手意識はなくなり、更にはフランス語も勉強し、将来は日英仏語の通訳者になりたいと思い始めます。

卒業後は英語が社内公用語の外資系証券会社に勤務します。残念ながら、体調を崩し、実家に戻りました。目標があるのに、それを達するための道筋も分からず、体力もないという、お先真っ暗の人生最悪でどん底の時期です。

しかし、運よく、外務省の派遣員試験に合格しました。これは、世界にある大使館や総領事館など在外公館で2年間準外交官としてインターンのように勤務できる制度です。私はフランス語で受験したので、フランス語、英語が必須の在ジュネーヴ日本政府代表部への勤務が決まりました。国連など国際機関の多いジュネーヴで、仕事の一環で、一流の通訳者のパフォーマンスを間近で見られたことは大きな刺激でした。いつか自分もこんな大きな舞台で通訳したい……それがより鮮明な目標になります。

帰国後、社内通訳者を経て、フリーランスに転向。業界も会社も分野もテーマも毎回異なりますから、24時間では足りないと嘆くことも。仕事後は毎回反省して、それらの気付きを次回に活かすなど、気が付いてみたら、フリーランスになって10数年。更には、運と縁に恵まれ、NY国連本部の同通ブースで、或いはOECDやFAOなど憧れの大舞台で同時通訳する機会も得ました。「あちらの世界」での長年の夢が叶ったのも、まさに大学が育んだ「津田スピリット」のおかげです。

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