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2025/01/10
前沢 浩子
獨協大学
学長
英文学科/1984年
2025/01/09 時点
プロフィール
英文学科1984年3月卒業。1989年3月、津田塾大学大学院博士課程単位取得満期退学。1989年から東京医科歯科大学教養部講師、同助教授を経て、2006年より獨協大学外国語学部英語学科で英語および英文学を教える。2024年4月より獨協大学学長。専門はイギリス文学、特にシェイクスピア。主著は『生誕450年シェークスピアと名優たち』(2014年、NHK出版)、『じゃじゃ馬ならし』(2023年、大修館書店)。訳書にスタンリー・ウェルズ『シェイクスピアとコーヒータイム』(2015年、三元社)、ジョン・ネイスン『ニッポン放浪記−ジョン・ネイスン回想録』(2017年、岩波書店)などがある。
メッセージ
数年前、津田塾大学の小平キャンパスが学会の会場となり、ほんとうに久しぶりに母校を訪れました。足を踏み入れたとたん、胸がつまるような懐かしさを感じました。週末だったのでほとんど学生がおらず、武蔵野の深い緑に囲まれたキャンパスはひっそりと静まり返っていました。その静けさの中に、凛とした透明な緊張感が流れていました。その瞬間「ああ、これが津田塾の空気だ・・・」と感じたのです。
こつこつと分厚い原書を読む勤勉さ、国際社会に目を向け人権や平和を尊ぶ思想、女性であることに誇りを持つ前向きな姿勢、津田塾大学はそれらをごく当たり前の前提として教育が行われていたと記憶しています。私が津田塾大学で身につけたのは、そういう校風の中に流れる知的でリベラルな理念だったように思います。40年近くの時を経てほとんど姿を変えていないキャンパスの中に入った途端、その理念にふわりと身を包まれたような気がして、私は感慨にしばし身を委ねて立ち尽くしました。
とは言うものの、在学中の私はけっして勤勉な優等生でも、意識の高い学生でもありませんでした。時は80年代、「女子大生ブーム」と言う流行語が象徴するように、若い女性たちが消費文化を華やかに謳歌していた時代です。その風潮の中で私は、適当に遊び、中途半端に勉強する、ごく平凡な女子大生の一人でした。英文学科に入ったものの、英文学を英語のまま楽しめるほどの英語力もなく、シェイクスピアの面白さもほんとうにわかった気にはなれませんでした。キャリアについてのヴィジョンもなく、勉学も未消化なまま卒業を控え、半ばモラトリアムでそのまま大学院に進んだというのが正直なところです。
そんな私が年月をかけて少しずつ知識や理解力を身につけ、なんとか研究者として活動を続けられるようになり、大学で教え、今は学長の立場に立っています。若い時には目標が見つけられなくても、未熟な自分を持て余し気味でも、それはごく自然なこと、試行錯誤するうちに、だんだんと歩む道が見え、ほんとうの自分が作られていくのだと、そのようなメッセージを私は学生たちにしばしば語っています。自分自身そのように進んできた人生を振りかえる時、その出発点にあの津田塾大学の凛とした知的な空気があったことを思い、あらためて母校への感謝の念をかみしめています。