2020/05/07

コネチカットカレッジ
東アジア言語文化学科学科長、日本語プログラム主任、日本語シニアレクチャラー

英文学科/1985年

2019/10/31 時点

プロフィール

英文科1985年3月卒業。都立高校に英語教師として5年勤務。担任のクラスを持ち、卒業生を出す。その後、1年を待たず退職。一般中小企業に就職。日本語教育に興味を持ち、渡米資金を貯め、渡米。ブリンマー大学にて日本語教育のトレーニングを受け、その後インディアナの大学で修士を取得。ニューイングランドのリベラルアーツの大学の日本語講師に就任。5年後、現在のコネチカットカレッジに日本語講師として就任し、現在、コネチカットカレッジ東アジア言語文化学科学科長、日本語プログラム主任。


メッセージ

両親が英語を使う仕事をしていた影響で、幼い頃から英語に興味をもっていて、なんとなくアメリカに行きたいと思っていました。有名な企業の内定をもらいながらも、高校の英語教師になると決めたのは、英語から離れたくなかったからだと思います。

津田塾大学の1年生のカリキュラムは英語漬けだったという印象があります。1年生から英語セミナーがあり、入学してすぐ「あなたたちの英語は役に立たない」と言われました。ラボや会話の授業も受けさせられ、4年生にもなるとゼミでは英語で5000wordsのレポートを書かなければなりませんでした。今考えると、日本ではあまりよく理解されていないリベラルアーツに基づくカリキュラムだったのと思います。この4年間で何をどう勉強・研究するのか叩き込まれました。この基礎的知的スキルは卒業後あらゆる分野に役に立ちます。

アメリカの大学教育は現在過渡期を迎えています。1年間の授業料は日本では考えられないほど高く、学生をどのように魅了して、獲得するかということがアメリカ中の大学の大きな課題になっています。コネチカットカレッジでも新1年生のセミナーや4年生のゼミ、外国語の取得など色々な試みが行われていますが、私にはどれ一つをとっても新しいことではなく、津田塾大学を思い出させられるカリキュラムです。

現在、大学での私の評判は、「厳しい」「難しい」というものです。ただ、私の授業に出ている学生たちは「厳しいけど、熱心」「難しいけど、おもしろい」と思ってくれています。教える者として、どうしようかと迷う時、私の大学時代にお世話になった先生方々の授業や話を思い出します。大学生の自分とその時に対応してくださった先生方の言葉を思い出しながら、今の私の学生たちに真摯に向き合っています。

教育の結果が出るのは何年も経った後です。失望することも多いのに、この仕事が楽しくてやめられないのは、津田塾時代に多様な価値観を吸収し、学習したことを応用するスキルを学べたからだと思います。勉強しない学生には腹も立ちますが、まだまだ日本語を教えるのをやめられなさそうです。

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