2020/05/07

IBM
ソフトウェア開発マネージャー

数学科/1984年

2020/04/20 時点

プロフィール

数学科1984年3月卒業。三菱電機コンピューター部門に6年勤務。結婚を機に退職し、夫が住むアメリカ・ボストン近郊に移り住む。ソフトウェア開発プログラマー、プロジェクトマネージャー、プロダクトマネージャー、あるいは開発マネージャーとして、大規模な企業ソフトウェアから、セサミストリートと提携したAIで幼児教育トランスフォーメーションを行うプロジェクトまで、多岐にわたったソフトウェアの研究開発リーダーとして活躍。コンピューターの発展とともに一般生活の単純化と楽に暮らせる環境を作ることが夢。現在IBM勤務。


メッセージ

ふと気がつくと還暦に近い年齢となり、もうすぐアメリカでの英語の生活が日本にいた時よりも長くなる、という事実に驚いています。それというのも、津田塾大学での恩師と友人・先輩・後輩から教わったことが今も脳裏に鮮明に焼きついているからです。「アメリカには英語の喋れない人が沢山いるよ」というビル(夫)の言葉に励まされ、はずみで渡米した私は異国で英会話もできず、最初は自己嫌悪に陥る日々を過ごしました。ボストン郊外の小さなアパートで毎日セサミストリートなどの幼児テレビ番組で英語を学び、就職活動を始めました。窮地に陥った時、津田塾で教わった生き方と生きる力が私の起動力でした。授業中の先生のさり気ないお話や、全国各地から集まった友人達に学んだ前向きに心を開いて柔軟に生きること、アイデンティティ(個性)とレジリエンシー(弾力性)が私の人生を支えてくれました。例えば「弾力性」。数年前に夫が病死した時には途方にくれましたが、時間をかけ少しずつ立ち直っています。四苦八苦しながら仕事を続け、来年には勤続30年のマイルストーンを迎えますし、娘も健やかに育ち、結婚式の準備を始めました。ある意味で達成感・充実感を味わっています。

サークルの先輩の紹介で三菱電機に入社したのは、幸運にも男女雇用機会均等法ができた時で、JIS・ISOの会議への参加を与えられるなど女性の私にも活躍できる機会が積極的に提供されました。アメリカも、日本も、これからますますダイバーシティ・多様化が重要視されていくと思います。津田塾大学の女性の力を発揮できる機会が多くなることを期待しています。同窓生の一員として、これからの世代が、そして今まで頑張っていらした世代がより「生きやすくて明るい日々」を過ごせるように、私自身も何らかの形で社会に貢献できれば嬉しいと、ひたすらスキルを磨いております。今covid-19パンデミックで 思いもよらなかったグローバルな危機に面しています。母として、娘として、そして津田スピリットを受け継いだ一人として何ができるかが今後の課題かと思います。

Please stay safe and stay strong. Tsuda strong!

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