2020/09/01

昭和大学横浜市北部病院(非常勤)
医師

英文学科/1984年

2020/05/06 時点

プロフィール

英文学科でアメリカ史を専攻し、もっと学びたいと思い大学院を受験したが不合格。その時点(4年生の秋)で、就職活動を始める。1984年、リコーに就職。会社勤務中に人生で初の入院生活を経験し、医療関係の仕事を考え始め、退職。再就職後、「今回のみ」と思い受験し、1988年、関西医科大学医学部へ入学。現在、皮膚科医。


メッセージ

津田塾在学時は研究職につきたいと思っていたのですが、紆余曲折の後、皮膚科医をしています。人生どこでどうなるか、わからないものですね。私の父も皮膚科医です。父とは違う仕事にと思っていたのですが、気が付けば同じ仕事をしています。

2006年までは、大学病院の常勤医をしていたのですが、旦那さんの海外勤務で常勤を外れ、現在は、大学病院と先輩のクリニックで非常勤医をしています。

皮膚病変は、誰の眼にも見えるものです。良くなっているか、変わらないかは、患者さんにもわかります。なので、良くなっていくのを患者さんと一緒に見ていけると、ほっとします。そうでない場合は、頭を抱えています。

「先生と会うと安心します」「先生の顔を見にまた来ますよ」と言ってもらえると(お世辞が入っているでしょうが)、心が温かくなります。医師と患者さんではなく、人と人の対話が出来ればと思っています。しかし、忙しい時、細かい症状をあれこれ言われると、いらついている自分に気が付くことがあります。後で「嫌な奴をしてしまった」と反省するのですが、時すでに遅しですね。

英文学科とはかけ離れた分野での仕事が長くなりました。今では英文学科卒業といえるほどの英語力はなくなっています。皮膚科医としてよくある疾患を見逃さない勉強をしつつ、すっかり忘れてしまった英語(先生方、ごめんなさい)を取り戻す勉強もしたいと思っています。

大学院に落ち、就職、医学部目指すがあきらめて再度就職、やっぱり受験、と人生いろいろ状態ですが、今思うと、これらすべてがあって今の自分だと思います。やりたいことがあり、トライできる環境にあるのならば、やってみてください。成功すれば何よりですし、失敗したって自分の糧になると思います。その時は落ち込みますが、時間がきっと解決してくれます。

津田塾で得たのは、筋の通った同級生達とチャレンジ精神です。

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