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- 挑
2020/05/07
北村 祐子
Hitachi High Technologies America
Director, Supply Chain Operations
国際関係学科/1999
2020/01/25 時点
プロフィール
国際関係学科1999年3月卒業。大学院留学のためアメリカ・ルイジアナ州へ。University of Louisiana at MonroeにてMBAを修了後、テキサス州ダラスにあるHitachi High Technologies Americaの半導体サプライチェーン部で、社内初の日本人女性ディレクターとして勤務。今年で勤続19年目。現在は日々の業務に関わる傍ら、アメリカで働く日本人女性を応援すべく、さまざまな活動を主催している。
ダラスで働く日本人女性のネットワーク機関DJCW (Dallas Japanese Career Women)の会の創始者・共同会長。
https://www.djcw.org
在米邦人向け情報誌2社(US Front Line・Q Magazine)にて、働く女性を応援する記事を毎月連載中。
https://usfl.com/author/yuko (ネット記事)
http://qmaga.us/ (紙面記事)
メッセージ
実はもともと特に海外志向ではなく、生粋の日本生まれの日本育ち(しかもド田舎である、神奈川県のはずれの津久井郡。今は「郡」から「市」になりました)。アメリカでバリバリ働きたいなどという思いは全くなく、むしろ面倒なことからは逃げるタイプの人間でした。
高校時代は英語が苦手だったため、大学受験では英語を避けるように国文科ばかりを受験しました。しかし、運命のいたずらで、女性の社会進出とグローバルなマインドを育む教育で有名な津田塾大学の国際関係学科に入学することになりました。そこで数々の優秀なクラスメイトと出会い、私の考え方が180度覆されたのです。例えば、海外留学を希望する子、国連への興味から模擬国連サークルに入ったという子。将来、発展途上国の支援に関りたいので、既に現地の言語を勉強中という子もいました。同じ年の女の子達が、自分のやりたいことを見つけて、それに向かって頑張っている。「それに比べて私は今まで何をしていたのだろう......」。自分が恥ずかしくなると同時に、多くの刺激を受けました。だんだん「私も海外へ行きたい」という思いが高まり、卒業後は大学院(MBA)進学のためにアメリカへ。修士課程を終えた後は、そのまま現地の日系企業に就職しました。
10年ほどダラスで働いた後、日本の親会社へ行く社内辞令が下り、日本で3年半勤務しました。その時に、日本の働く女性を取りまく環境や、日本女性の考え方に触れ、アメリカとこうも違うものかとショックを受けたのです。日本の女性達はとても謙虚。せっかく機会が与えられても「私なんてとても」という方ばかりで、とても歯がゆい思いをしました。今、日本では、仕事環境や働き方が多様化しつつあります。「日本で働く女性の皆さん、今がチャンス!もっと自信をもって、あなたらしく働こうよ」というメッセージをなんとか伝えたい。そんな思いを抱えながら、ダラスで働く日本人女性を応援するDJCW(Dallas Japanese Career Women)の会を2018年に設立しました。また、在米邦人向けの情報誌2誌で、働く女性を応援する記事を執筆するなどして、日々頑張っています。