- 育
- 究
2020/05/07
有馬 容子
敬愛大学
教授
英文学科/1977年
2020/01/06 時点
プロフィール
英文学科1977年卒業後、三越株式会社に3年間勤務。1981年津田塾大学大学院文学研究科博士課程前期課程入学、1988年博士課程後期課程終了。1988年より大学教員。城西国際大学、山脇学園短期大学を経て、現在敬愛大学教授。2016年から1年間、カリフォルニア大学バークレー校客員教授。著書に『マーク・トウェイン新研究—夢と晩年のファンタジー』彩流社、『空とアメリカ文学』(共著)彩流社、『クラブが創った国アメリカ』(共著)山川出版など。訳書に『マーク・トウェイン・ユーモア傑作選』、『ジャック・ロンドン幻想短編傑作集』彩流社など。
メッセージ
津田の英文学科を卒業して就職先に百貨店を選んだのは、当時4年生大学卒の女性が男性と同等の仕事に就くことのできる数少ない業種だったからです。まだ多くの場合、女性の仕事は男性の補助的なものでした。選んだ仕事は女性の能力を発揮できる楽しいものでしたが、どこか満足できないでいました。
そのような中で、強く心を突き動かすようになったのは、もう一度津田で勉強したいという気持ちでした。結局、仕事を辞め津田の大学院に入学し、修士課程、博士課程を修了し、最終的には大学の教員となりました。
ところで、このように書くと、いかにも大学時代勉強が楽しかったかのように聞こえるかもしれませんが、決してそういうわけではなかったのです。英語はもともと好きでしたが、日本語と大きく異なる言語の解釈に悩まされ、それなりの努力はするものの、いまひとつ明快には理解できないことの連続でした。しかも、大学では作品に翻訳があっても原文で読むことがあたりまえで、次の講義までにペーパーバック一冊を読むぐらいの宿題はざらにありました。いくら努力してもなかなか成果が見えず、漠然とした何かのために辛抱強く勉強する日々が続きました。楽しいどころか私の大学生活はなかなか悩ましいものだったと言えます。
そのような大学生活が、実は現在の私の基礎を築いたのであり、もっとも大事なことであったことを自覚したのは、その後大学教員になってからでした。いくつかの大学で教えることになりましたが、その先々で私と似たような経験を経て芽を出した女性たちと巡り会ったからです。驚くべきことにその多くが津田の先輩・後輩でした。皆小平の静かな環境で異なる言語を修得し、異なる文化を理解しようと地道に勉学に励んだ人たちでした。外国との距離が非常に近くなったいま、この分野を学ぶ方法はより楽しいものに変化しています。しかしながら、本物の実力を身につけようとするならば、辛抱強く学ぶ地道な努力が常に根幹になければならないのです。このことを忘れないようにしましょう。