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2022/08/15
中村 うらら
朝日新聞社
北陸朝日放送取締役
英文学科/1987年
2021/08/09 時点
プロフィール
1987年4月、朝日新聞社に入社。宮崎支局、西部本社(北九州市)を経て東京本社へ。新聞紙面の編集をする整理部と編集センターの在籍が長く、地域面編集センター長と東京編集センター長を務める。その後、フォーラム事務局マネジャーとして「朝日地球会議」の発足と企画運営を担当、現在は日曜朝刊のフォーラム面の編集長。シングルマザーで、すでに独立した25歳の息子がいます。30代と40代は朝刊を作る深夜勤の多い生活で、近くに住んでいた亡き父が、泊まり込みで息子に夕食を作り、お風呂にいれ、読み聞かせをしながら寝かしつけ、翌朝のお弁当を作ってくれました。私が働き続けられたのは、一橋大出身で津田塾が大好きだった父のおかげです。
メッセージ
「子どもを産んでも勉強をやめてはいけません。津田塾大学には保育所があります」。
1983年4月、入学式での大束百合子学長の言葉です。在学中に子どもを産んでも大丈夫、と、さらりとおっしゃったのです。まだ「でき婚」という言葉もなかったし、結婚前の性交渉は声を潜めて話すような時代でした。なんと先駆的であったことか。いまもあのときの驚きを思い出します。
津田塾で鍛えられて良かったと思うのは、英語だけではありません。提出物の締め切りを守ること、引用に出典をつけなければプレイジャリズムである、ということです。1987年卒業以来、朝日新聞社で働いていますが、新聞では、どんな特ダネでも締め切りに間に合わなければ幻です。人の書いた記事を盗用することは許されません。いま、報道機関の競争の場は、紙面から締め切りのないデジタルに移りましたが、他社に先駆けて報じる価値や盗用が許されないことには変わりありません。在学中は、1分遅れでも受けとらない学生課や、ibid.ひとつのつけ忘れも見逃さない教授たちが、あたかも鬼のように言われていましたが、新聞社に入ったら当然のことでした。
マスメディアはいまだに男性が多い世界です。私のように長く勤めて責任を持つ立場になった女性が社内でできることは、あとに続く女性を育てること、男尊女卑をしない男性を増やすことだと思っています。また、社会に対しては、目に見えるかたちで活躍する女性を紹介することです。昨年まで担当した国際シンポジウム「朝日地球会議」では、登壇者に占める女性の割合を4割以上とすることができました。いまはフォーラム面を通じて、女性にとっても男性にとっても公平に幸せに生きられる社会を提案していきたいと思っています。
卒業後、公私にわたり多くの卒業生との出会いがありましたが、今も懐かしく思い出すのは、20代の後半に転勤先で出席した「関門支部」の同窓会です。ひとりずつ立ち上がって自己紹介をしましたが、誰ひとりとして自分の地位や家族を自慢する人がいません。自分が最近興味を持ったこと、それについて本を読んだり勉強を始めたりしたことを生き生きと語る方ばかりでした。これこそ、大束先生のおっしゃった生涯勉強を続けることだ、津田塾卒業生かくあるべしと貴重なお手本になりました。