- 拓
- 伝
2024/03/07
坐間 妙子
ウェザーマップ
アナウンサー、気象予報士
情報科学科/2011年
2024/03/04 時点
プロフィール
2011年3月情報科学科を卒業後、地元のFMぐんまにアナウンサーとして入社。朝のワイド番組のパーソナリティとして出演するほか、取材や編集、イベント企画など様々な業務を経験する。2015年4月、TBS系列の北陸放送(石川県)に移籍。テレビでは報道番組のスポーツキャスター、旅番組、県の広報番組を担当。ラジオでは朝昼晩すべての時間帯の番組を経験し、番組制作も多数担う。2019年10月に気象予報士の資格を取得し、2020年1月に北陸放送を退社。同年3月からウェザーマップに所属している。
メッセージ
お恥ずかしい話ですが、私は医学部を目指して3年浪人して夢破れ、2007年に津田塾に入学しました。年下の同級生に劣等感を感じ、勉強にも興味を持てず、残念な学生でした。それでも何か夢を持たなければと思い、どうせ目指すなら難しいものを、と思って目標にしたのが「アナウンサー」でした。就職活動では地方局を30局くらい受け、地元のFMぐんまから内定をもらいました。
FMぐんまは地方ラジオ局では珍しく、報道部があります。国政選挙の特別番組や災害対応も行い、私は「富岡製糸場と絹産業遺産群」が世界遺産に登録されるまでを取材しました。歴史に残る瞬間に立ち合えることはこの仕事ならではだと思います。学生時代は教師になることも考えていたので、子供の取材にも力を入れ、100校以上の学校を回って、子供達とラジオ番組を作る企画も行いました。
30歳を前にして「テレビで挑戦したい」という思いが強くなり、石川県の北陸放送へ移籍しました。主としたフィールドは「スポーツ」です。特にサッカーJ2ツエーゲン金沢の取材に力を入れ、毎週30分のラジオ応援番組を制作。普段の練習や試合だけでなく、キャンプや敵地での試合の取材にも行きました。「話を引き出す面白さ」に気づけたのはこの頃です。企業トップや音楽評論家との番組も担当し、たくさんの人にインタビューをしてきました。
地方でも芸能人や著名人との仕事も多く、局アナとしての仕事は充実していました。ただ、結婚をして、将来的に東京で暮らす ことを決めた時、次の目標を立てました。気象予報士になることです。私がアナウンサーになったのは、2011年春。東日本大震災の時は、研修で生放送のラジオスタジオを見学していました。災害報道が見直される中で育ち、関東豪雪や局地的豪雨の現場から中継をすることもありました。仕事の合間に資格試験の勉強をし、退社を決めていた時期の直前に、ようやく合格率5% の壁を突破できました。
2020年3月から気象予報士が多く所属するウェザーマップの一員になりました。TBSを中心に、テレビやラジオで気象キャスターを務めながら、アナウンサーの仕事も続けています。東京に戻り、一番会っているのは、小舘研究室で一緒だった先輩です。後ろ向きな姿勢で始まった大学生活でしたが、頼もしい先輩や友人、何よりも、夢を応援してくださった小舘先生のおかげで、私の大学生活はかけがえのない財産になりました。
混沌とした時代の中、迷うこと、くじけることもあるかと思います。しかし、どんな挫折でも、きっと学びはあるはずです。「もうだめだ」と思った時こそ、新たなことに挑戦するチャンスです。小さくてもいい、夢や目標を胸に、がんばってください。