2021/07/20

津田ふれあいネットワーク
津田ふれあいネットワーク会員、元津田塾大学職員

英文学科/1972年

2021/06/30 時点

プロフィール

1972年3月英文学科卒業。1年間英語教員をした後、民間企業勤務を経て1974年津田塾大学事務局に就職、2010年に定年退職した。本学での所属部署は英文学科事務室→教務課→学生生活課→総務課→創立100周年事務局→交流館→国際センター。1979年末に出産した際、学内保育所の支援を受けることができた。保育所は1978年当時妊娠中の国際関係学科大学院生の「学内共同保育室」発案から始まった。設立時から保育所に関わることができたのは貴重な経験だ。退職後は国際センターでの留学生支援のご縁で、同窓生自主グループ「津田ふれあいネットワーク」の会員となる。


メッセージ

入学時の1968年はベトナム戦争が進行中で、沖縄はまだ日本に返還されていない時代でした。東京に憧れ英語が好きというだけの「教科書優等生」だった私にとって「政治の季節」のキャンパスには考えざるを得ないことがたくさんありました。右往左往しながらも反戦の集会やデモに参加し「大学とは何か?」「学問とは何か?」と寮や中庭で友人と語り合ったものです。

国際センターでは海外からの留学生の受け入れと津田塾生の海外派遣に関する仕事に携わりました。留学生には学位取得まで在学する「私費留学生」と短期間での単位取得目的の「協定校交換受入生」がいます。前者は中国や韓国からの留学生が多く、卒業式の時に挨拶に来てくれたのは忘れられない思い出です。後者は必ず日本文化と日本語の授業を履修し、日本人学生や交換生同士の交流を楽しんでいました。閉寮時対応として同窓生の協力を得て日本各地にホームステイ先を見つけることができたのは幸いでした。津田塾生の留学については、語学研修を経て協定校等への留学を志す学生が増えたことが嬉しいことでした。国際センターはまさに内外の学生たちの交流の場であったと改めて思います。国際交流で大事なことは差別をしないことと思ってきました。学生の皆さんには在学中にぜひ異文化への理解を深めてほしいと思います。

定年後、近隣の国の言語を学ぼうと思い定め、まず韓国語を始め、現在は中国語とモンゴル語を学習中です。日本語との関係も含めて面白くなってきています。確かに「英語」は基本言語として役に立っていますが、「津田は英語」というだけではないことを在学中に発見して欲しいと思います。「考えること」を教わった私にとって、津田塾での学びは現在でも生きています。

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