- 結
- 伝
2020/05/07
中山 涼子
株式会社 時事通信社
編集局文化特信部 記者
国際関係学科/2015年
2019/10/27 時点
プロフィール
2015年3月に国際関係学科を卒業後、同年4月に時事通信社に入社。本社編集局内政部を経て、広島支社編集部に配属された。市政・原爆・平和担当としてオバマ前米大統領訪問(16年5月)や国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」のノーベル平和賞受賞(17年12月)、西日本豪雨(18年7月)などを取材。19年10月、本社編集局文化特信部に異動した。共著に『ヒロシマの『河』—劇作家・土屋清の青春群像劇』。
メッセージ
「お母ちゃんの骨は 口に入れると さみしい味がする たえがたいかなしみが のこされた父とわたしに おそいかかって 大きな声をあげながら ふたりは 骨をひらう」—この原爆詩「ヒロシマの空」を書いたのは、私の祖母で被爆者の林幸子という人です。「ちちをかえせははをかえせ」(序)という一節で有名な原爆詩人・峠三吉の半生を題材にした市民劇「河」が2017年末に広島で、18年9月に京都で上演されました。当時広島に赴任していた私は、地元の人々と共にこの劇に参加。記者の仕事の傍ら、峠と共に活動していた若いころの祖母をモデルにした原爆孤児を演じ、「ヒロシマの空」を朗読しました。
幼いころ、「将来は世の中の役に立つ仕事がしたい」と祖母に伝えたことがあります。そのときは本当に幼稚な気持ちでしたが、喜んでくれた祖母の顔が今でも忘れられません。私が高校3年生の時、祖母が亡くなりました。大学入学後「原爆と祖母の詩を調べて伝える仕事がしたい」と考えるようになり、記者を志しました。でも、就職活動は思うようにいきませんでした。周りの学生が内定をもらう時期になっても自分は就職先が決まりませんでした。当時は「売り手市場」と言われていたこともあり、「自分に問題があるのではないか」とくじけそうになりました。
そんな中、ライティングセンターや学生生活課の教職員の方々は、私のヒロシマを伝えたいという思いを尊重し、面接の練習相手をしてくれる新聞記者を探してくださいました。等身大の私の気持ちを大事にするアドバイスのおかげで、現在の会社での面接では自分を素直に表現することができ、内定をもらうことができました。面接で伝えた「祖母の詩について取材する」ことも、冒頭で書いたように叶えることができ、感慨深いです。
日常業務の合間を縫って稽古に参加するのも、個人的な思いを執筆するのも、難しいことです。自分のテーマを追い続けることに疲れることもあるし、時に厳しいことも言われます。でも、投げ出しちゃだめだ、と思えるのは、就活時に私の夢を全肯定してくれた教職員の皆さんや、新聞紙面などを通じて私の取り組みを見守り、いまだに応援のメッセージをくれるゼミの友達の存在があるからです。これからも祖母の原爆詩や戦争の記憶について伝え続けたいと思います。