- 護
2020/09/01
村上 尚子
こころ法律事務所
弁護士
国際関係学科/1988年
2020/03/31 時点
プロフィール
国際関係学科1988年3月卒業。卒業後、地元福岡の地方銀行に総合職で入社。希望は広報や営業企画だったが、適性テストでシステム化に適しているということで、システム部に配属。システム開発や行員へのシステム運用の指導などを行う。1991年3月監査法人に転職しコンサルティング業務を行う。その後、弁護士になりたいと思うようになり、仕事終了後に予備校に通い司法試験の勉強を行う。1999年10月司法試験に合格。2001年10月沖縄弁護士会弁護士登録。同時期に同期の弁護士と結婚。2005年こころ法律事務所設立。2020年度沖縄弁護士会会長就任。家族は、夫と息子2人と柴犬。
メッセージ
大学在学中、そして就職後もしばらくは、自分が弁護士になるとは考えてもいませんでした。ご存知のとおり、津田塾大学には法学部はなく、司法試験の勉強を始めようと決心するまで、六法を見たことも触ったこともありませんでした。卒業時、正直なところ、自分が本当に何をしたいかまだわかっておらず、とりあえず就職しました。
銀行で勤めながらも、その後監査法人に転職したときも、自分が一生続けたい仕事は何なんだろう、と模索していたのだと思います。転機は、働きながら外国人労働者支援のボランティアをしていたとき。そのボランティアに女性弁護士も参加していました。私が関係機関と苦労して交渉しても進まなかったことが、弁護士が名刺を出し、話をすると解決していくのです。法律は人権を守る武器になる、法律を使える弁護士はすごいな、と思いました。その後、司法試験合格体験記を本屋で立ち読みして、弁護士になろうと思い、猛勉強しました。
弁護士は仕事も、立場的にも責任は重く、ストレスも多い仕事ではありますが、人を助ける仕事であること、仕事のスタイル、時間の使い方などは全て自分でコントロールできることから、自分に合っているのだと思います。実際に、出産して子育てをしながらも自分のスタイルでずっと仕事は続けています。
弁護士業界における女性の割合は約2割であり、まだまだ男性社会です。ですが、法律が必要となる場面、必要としている方は男女半々です。弁護士も本来であれば、男女の割合は半々であるべきだと思います。弁護士の働き方、弁護士会などの組織においても男性も女性も働きやすい環境の整備が必要です。私が2020年度に沖縄弁護士会の会長に就任する決意をしたのも、多くの女性が弁護士として、仕事を続けやすい環境整備をしたい、そしてそれが社会においても女性、男性に働きやすい環境整備へとつながる一助になれば、という思いからです。
大学卒業時には、何の仕事を一生していきたいか決まっていなかった私ですが、信念(自立できる仕事、社会貢献できる仕事)をもち、模索を続けていたのは、津田塾大学での経験、出会い、学びに原点があります。転機、チャンス、決意できる思いがいつ訪れるかは、人それぞれです。今できること、今しかできないことを経験していくことが大切なのだと思っています。