- 究
2020/05/07
井垣 伸子
関西学院大学総合政策学部
教授
数学科/1977年
2019/10/31 時点
プロフィール
井垣伸子(数学者)。数学科を1977年卒業。大学院修士・博士課程を1982年修了後、名古屋商科大学にて、助手、専任講師、助教授。つぎに帝塚山大学にて、助教授、教授。その後、関西学院大学の教授として、現在17年目。1999年に名古屋工業大学にて、博士号取得。また、1982年に米国University of Pennsylvaniaに特別学生として半年間在籍。2012年より一年間、University of Washingtonに研究員として在籍。著書に、『サイバースペース時代の経営パラダイム』(共著、同文舘)、『現代の情報管理-インタネット時代のビジネス科学-』(共著、建帛社)など。
メッセージ
高校時代、「毎日、数学ばかり勉強することができたら、どんなにいいだろう!」とよく思ったものでしたが、数学科への入学後は、ずっと数学漬けの生活となりました。安心してそんな生活に突入することができたのは、入学式のときに学長が、「みなさんは、新聞読まなくていいから、国内外情勢を知らなくていいから、今はしっかり自分の勉強をしなさい!」とうれしいアドバイスをくださったからです。
入学当初は、「え〜、これがホントウの数学なの!? 式があんまりなくて、文章ばかり書いてあるけど。」と驚きの毎日でした。図書館へいくと、たくさんの数学の本があって、「この本、一冊一冊の中には一体どんな内容が書いてあるんだろう?」と興味津々でした。幸運にも大学院卒業後すぐに大学に就職することができましたが、44歳で博士号を取得するまでは苦労しました。10年間ぐらいは、盆も正月もなく、昼夜逆転の生活で、夕食後に少し仮眠して、毎日徹夜で研究をする日が続きました。朝6時ごろ、大学の研究室から自宅へもどり、朝刊を読んでから午前中いっぱい寝て、午後再び大学へ行くという毎日でしたが、楽しかったですね。アドレナリン出まくりの興奮した日々でした。独身じゃなかったら、不可能な生活だったかもしれません。研究を助けてくださる人たちにも恵まれて、なんとか頑張れました。
ずっとひとりぼっちで研究室に引きこもっている研究生活から、いきなり広い世界にでたのは、博士号取得後でした。年に1回か2回は、海外の学会に出席して論文発表をするようになりました。アメリカ、フランス、イタリア、オーストリア、オーストラリア、ポルトガル、ハンガリー、中国、韓国、タイなど、さまざまな国を訪れました。観光ではなくて、仕事で世界中を飛び回りたいと思っていたので、その夢もかなってうれしかったです。そしてその先があったのです。食べる、寝る、風呂に入る以外の時間をすべて注ぎ込んで、自分の気の済むまで数学に熱中した期間を持てたこと、それに広く海外を見て回れたことにより、自分の気持ちが解放されたような感覚があったのです。こんな境地になるとは思っていませんでした。ふっきれた感があるというか、細かいことを気にしないというか。すこし距離をおいて物事をみることもできるし、そうかと思うと、いつでも渦中に飛び込んでフルスロットル(アクセル全開)で動けるような、そんな自由自在な感覚を今は楽しんでいます。