- 創
- 表
2021/10/11
佐藤 道代
イサドラ・ダンカン国際学校日本 代表
国際関係学科/1991年
2021/09/17 時点
プロフィール
ロータリー財団奨学生として留学したNY大学より1997年修士号及び舞踊教育学科長賞「舞踊教育への特別な専心」を授与。1999年イサドラ・ダンカン国際学校教員免許取得後、2000年より同校日本大使として国内外で公演(愛地球博、大英博物館等)、指導(津田塾大学、NYUスポーツセンター等)を行う。舞踊作家として2000年津田塾大学百年祭にて振付けた『梅の花今開かん』を、2004年夏にNYジョイス・ソーホー劇場にて「SILK AND UME BLOSSOMING: To Women of Japan」として上演、連日満席となる。NYタイムズ紙は「スタイル・内容ともに洗練された作風」と書く。2011年NHK「日曜美術館」出演。2012年より福島の小学校、仮設住宅で福島の美しい自然を踊る活動も行う。
2021年6月『梅の花今開かん』を、津田塾卒業生と共に紀尾井小ホールにて再演。
メッセージ
私の仕事は、子供も大人も大自然に帰し生き生きと踊る場を作ること。在学中と卒業後、自主的に動く先輩、同輩、後輩の津田スピリット「女性が生き生きと在るために協力する精神」を、お互いを認め合う中で経験したことが、今に繋がっている。
1991年国際関係学科卒業総代・故柳田栄乃さん達と「手作りの謝恩会をしよう!」と、私達は謝恩会を学校で行った。校庭で「豚の丸焼き」をし、特別教室で公演をした。私は『DNA』という自作を踊った。非常に残念なことに、柳田さんはコーネル大学院卒業後事故で夭折してしまったが、彼女や周りの友達の協力する姿を今でも思い出す。
大学入学半年後に母を病気で亡くした私に、友達や先生方は喪失にはあまり触れずに、授業のノートを貸してくれたり、楽しい場を作ってくれたりし、家事の後、大学に2時間掛けて通う私に、津田での居場所を作ってくれた。牧野ゼミの仲間で立ち上げた「スーパー・エキセントリック・ダンサーズ」が、私の振付師としての出発点。また、柳田さんがModel Production(学生英語劇連盟公演)に誘ってくれたことをきっかけに、川平慈英さん振り付けの英語劇で踊り、翌年同団体の公演の振り付けを手伝った。大学時代の全ての公演経験が、NY大学の入試や、その後のペンシルバニアでの『王様と私』出演への布石にもなった。門外漢の私が舞台への道を歩む下地を、津田が作ってくれた。
先生方のお陰で、私はNYで舞踊を研鑽することが出来た。4年ゼミを休んで米国夏期舞踊大学に行くことを許し、推薦状を書いて下さったラミス先生、NYUでの初舞台を観に来て下さった保健体育の田中祥子先生など、お世話になった先生方全員のお名前をここに書き切れない。田中先生の提案で、2000年津田塾百年祭『梅の花今開かん』をDance Nutsの卒業生に振り付けた時も、皆の自主的な動きに大いに助けられた。この作品を今年6月19日、初演時ダンサー 妹尾直子さん、坂本典子さんに、上野山智子さん、日髙恵梨子さんを加え、日舞の師範となられた津田の大先輩、西川扇才佳さんの『いちりんの梅』と共に、紀尾井小ホールにて上演できた。これも、山下順子さん、安保尚子さん、福田誠子さん、田中先生ら「津田梅子を踊る」実行委員会の先輩方のお陰です。
今後の夢は、若い方々の身体表現を、英語を交え手伝うこと。年齢を問わず自分らしく動ける身体調整法を確立し伝えること。古来の動きに学び、新しい舞踊を作り踊り続けること。身体ある限り、生き生きと!