2021/07/26


フリーアナウンサー

数学科/1989年

2021/05/28 時点

プロフィール

1989年NHK入局。金沢放送局を経て東京アナウンス室に配属になり、「NHKおはよう日本」「NHKサンデースポーツ」キャスター、リレハンメル・アトランタオリンピック現地キャスター、「NHK紅白歌合戦」総合司会などを担当。30歳で独立しフリーになる。
TBS報道局と専属契約し「筑紫哲也ニュース23」を9年間担当した。テレビ、ラジオ出演や、イベントコーディネーターなどアナウンサーとしての仕事を続けつつ、近年は、日本スポーツ協会副会長、一般社団法人「人文知応援フォーラム」理事としての活動にも注力している。株)オンワード樫山社外監査役。着物コーディネーター。


メッセージ

「東京の大学に進むなら、女子大で構内に寮があること」が両親の出した条件だった。ここしかないと津田塾に入った。男女雇用機会均等法施行前夜。これからの女性の生き方について、終わりのない議論を毎夜、続けたっけ。自由で多様な価値観を持つ先輩や同級生のエネルギーに触発され、自分自身の求めるものも鮮明になっていった。人に出会うことで成長していきたい、その思いでアナウンサーになった。

均等法はいろんなことを変えた。東京・大阪などの拠点局だけの配属だったNHK女性アナウンサーも、男性と同様に地方局にも行くことになった。新人の私は金沢へ。金沢局初の女子アナは、高校野球の実況中継や泊まり勤務に前のめりに取り組んだ。女性だって男性と同じようにできると意気込んでいたあの頃が懐かしい。何にでも“初”が付いたが、今ではすべて当たり前になっている。

2年後、東京アナウンス室に転勤になり、朝のニュースを担当することになった。大先輩の男性アナウンサーと席を並べた。平穏な朝は、交互にニュースを読んでいくが、突発的に事件や事故が起きるとカメラは男性アナだけをとらえ続けた。私にはその場を仕切る力も経験もないのだから当然だった。年齢や性差を超えた、本物の自立した仕事をしていきたいと、思いを強くしたのも、いざという時に頼りにされない経験があったからだった。

その後、30歳で独立し、フリーで活動を続けている。テレビメディアが元気だった時代に
思う存分アナウンサーとして仕事ができたことは幸せだったと思う。今、社会に出るとしたら、私はどんな仕事をもとめるだろうと、時折考える。そんな時間が楽しい。

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