2022/08/15

国立大学法人 香川大学
地域・産官学連携戦略室 客員教授:地域連携コーディネーター

国際関係学科/1979年

2022/08/15 時点

プロフィール

大学卒業後、地元の民放TV局KSB瀬戸内海放送にアナウンサーとして入社。系列のエフエム香川の開局と同時に移籍し、2005年からフリー。長きにわたって地元ニュースや番組担当としてマイクの前に立つ他、地域の文化振興、人材育成、にぎわい創出等の分野で、シンポジウム、パネルディスカッションのコーディネーターやパネリストとしての経験を重ね、フリー転向を機に文化サロンを主宰。各種団体会員、文化芸術委員や審議会委員を務め、多岐にわたり地域と関わり続けている。2020年4月より、香川大学 地域・産官学連携戦略室 客員教授。前職でのネットワークを駆使し、産官学民連携のコーディネーターとして奮闘中。古巣でのアナウンサー業も週1ペースで継続中。


メッセージ

小平での青春の日々から40余年。気の遠くなるような時間を経て、今また母校とのご縁を得て本文を書いています。

卒業後Uターンして就いたのは、地元TV局のアナウンサー職。アナウンサー試験の準備等一切していなかった私が、あろうことか合格し、優等生になれないままに還暦超えの今日まで続けているというのは、もはや奇跡・・と、これまで半ば自嘲的に公言していましたが、実は、全てが”必然”であったのかもしれません。
ゼロからの女子アナ時代は挫折の連続で、それでも辞めなかった理由は、“勤め上げる”もしくは“寿退社”を花道とする、当時の古臭い価値観のみ。FMへの異動話には、体の良い左遷かとちょっぴりヘコみもしましたが、それは大いなる誤算で、今に繋がる有難い転機となったのです。制作をほとんど自分の裁量に任される弱小ラジオ局のスタイルは、他力本願だった自分を大いに成長させ、あらゆるジャンルの番組に携わった30余年の実績は、有形無形の気付きと人的ネットワークをもたらしてくれました。

そんな私には現在もうひとつの顔があり、地元香川大学から客員教授を拝命し、地域・産官学連携のミッションに奔走しています。常に地元と関わり続けてきた私にとって、これまでの展開は有難く、もはや”必然”でもあるとも思えるのです。津田の4年間で醸成された、物事に対峙する責任感や向上心(の・ようなもの)が後の自分の素地となり、幾多のフェーズで背中を押し続けてくれたことにあらためて感謝します。香川大学と津田は大学間で連携協定が締結されており、「都市圏と地方」の学生交流が図られる中、微力ながらそのサポートもお引き受けしました。リアルな行き来がしづらい昨今ですが、オンライン講義やワークショップでの後輩たちの頑張りを見るにつけ、誇らしさで胸が熱くなります。

—後輩の皆様へー
人は、日々何かしら選択を迫られ、決断を下して生きています。何かを得るために何かを失う “プチ断捨離”の繰り返しです。何をもって折り返しとするかは自分次第ですが、迷ってばかりの“点描”人生も、気が付けばちゃんと自らの”軌跡”を描いているもの。その中で、必ず”節目”がやってきます。その瞬間を逃さないで。

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