- 究
- 伝
2020/05/07
津田 順子
公益財団法人米日カウンシルージャパン
事務局長
国際関係学科/1984年
2019/10/29 時点
プロフィール
国際関係学科1984年3月卒業。在学中は社交舞踏研究会の活動に打ち込み、プロのダンサーを目指すも卒業直前に断念、アルバイト生活からのキャリア開始となる。その後外資系企業へ就職し、数回の転職を通してマーケティング、宣伝、広報、人事などを経験。約30年のサラリーマン生活の後、非営利セクターに転身。現在は公益財団法人米日カウンシルージャパンに事務局長として勤務し、日米間の民間交流や若者向けリーダーシッププログラムの運営に携わる。
メッセージ
大学の4年間打ち込んできた競技ダンス。しかしプロになる夢を断念して、卒業を目前にした私には、仕事も無く、頼る人もおらず、大海原に浮かぶ小さな木の葉にしがみついて今にも波の藻屑になってしまいそうな、そんな不安な気持ちで迎えた社会人としてのスタートでした。
何の取り柄も、コネもない私に唯一あったのは、津田塾でしっかりと叩き込まれ、自分でもセカンドスクールに通って身につけていた英語のスキルだけでした。
卒業後最初の仕事だった半年のアルバイトは学外の英語教授のアシスタント職。その後就職した今で言うスタートアップ企業は、日本人とアメリカ人が共同で創業した大変国際的な環境でした。いわゆる新卒採用としての就職には失敗しましたが、英語が使えたことで、どうにかこうにか社会人としての道を歩み始めることができたのです。その後様々な機会に恵まれ、数社の大手外資系企業で宣伝、広報などの職を通じて「伝える」ことを自分の軸としてキャリアを積み上げ、管理職や役員として組織や人々をリードする経験もさせていただきました。
人生の中で何度か訪れるであろうピンチの時に、何か一つ自分に強みがあると、救われることがあります。私の場合、英語という守り刀を津田塾から授けていただき、窮地を切り抜け、その後のキャリアに繋げることができました。業務のスキルと英語を掛け合わせることで仕事の幅と可能性が広がり、私のキャリア進展の後押しとなったことは間違いありません。
津田塾ではall-round womenとなるよう教育を受けました。英語力を追求するのみならず、社会や地域、家庭など様々な場で持てる力を発揮し貢献できる、視野の広い女性たれ、という津田塾の建学精神です。明治の時代に梅子が打ち立てたこの精神は、女性活躍推進を謳う現代に1ミリのブレもなく生き続けています。津田塾を卒業して30年以上経つ今も、私は英語を毎日の仕事で使い、all-round womanを目指し続けています。