2020/05/07

McGill University マギル大学
名誉教授

英文学科/1953年

2019/10/28 時点

プロフィール

1953年3月英文学科卒業。東京都立大学社会学研究室助手補を1年務めた後、1954年4月に同大学大学院社会人類学研究科に入学。1955年にフルブライト奨学金を得てハーヴァード大学に留学、1958年に修士号、1974年に博士号。1959年にカナダ人と結婚し、1960年にカナダに永住者として入国。トロント大学非常勤講師(1964-66)を経て、1967年以降モントリオール市のマギル大学に2003年まで勤務、現在名誉教授。この間、人類学科長(1975-80)、東亜研究所所長(1983-88)、准副学長(1991-96)を務め、学外では東亜考古学協会会長(2004-08、2008-12)、カナダ日本学会会長(1999-2000、2004-07)など。カナダ日本学会からAward for Lifetime Service to the Association(2017)、日本政府から瑞宝小授章(2005)を受ける。


メッセージ

1960年の年末に大雪の中をボストンからナイアガラを経てカナダに入国して以来、総合人類学の一部としての先史考古学の研究と教授に携わって半世紀以上になる。その発端は津田塾大学卒業を控えた1953年の春、東京都立大学の社会学研究室からの求人募集に応じ、英語の試験を通過して助手補に採用されたことにはじまる。戦後間もない当時、教授陣は国際学界との交流を復活するための英文通信の手伝いをする助手補を求めていたようだ。通信や翻訳のお手伝いを通して、社会学・文化人類学など、私にとって新しい世界が開けることになり、この分野を本格的に勉強するために都立大大学院の社会人類学専攻課程に入学し、さらにフルブライト奨学生として1955年に渡米した。

ハーヴァード大学大学院に留学中に、カナダから来ていた院生のフィリップ・スミスと結婚、1960年にフィリップの就職先のトロントに移った。1966年にモントリオールに移動し、フィリップはフランス語系のモントリオール大学、私は英語系のマギル大学で教職につくことになった。2003年12月に引退するまで、東アジア、特に日本の先史考古学、その延長として、北東アジアから北米への人類拡散の形跡をたどることなどに焦点を置いた研究と学生の指導に従事した。

准教授に昇進したばかりの1975年に人類学科長に就任したことから始まって、マギル大学での35年のうち15年は何かの役職を務めることになった。当時の人類学科は人事がもめており、「おとなしい」はずの日本人女性なら、随意に操れるだろうと各人期待して私を学科長に選出したのだろう。その頃は北米でも女性の学科長は少くて、マギル大学人文学部の学科長会議に集まった20名のうち女性は私一人だった。1991年から准副学長を5年間務めたが、当時学長以下副学長クラスまですべて男性だったので、管理職の経験のある女性候補者を意識的に探したときいている。准副学長の立場から交換留学制度の拡大、交換協定の条文・締結の手続きの整理、特にアジア方面の大学との協定強化などができた。飯野正子前学長のご尽力で1992年に発足した「英語とカナダ文化の夏期研修」は今も継続しており、毎年100人前後の日本人学生がモントリオールをおとずれる。2005年の瑞宝小授章は「日加学術交流およびカナダの対日理解促進における功績」のためとのことだ。

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