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2026/04/07

芝浦機械株式会社
取締役

国際関係学科/1983年

2026/04/07 時点

プロフィール

1983年3月国際関係学科卒業後、住友商事にて三国間の合弁ビジネスと本部財務報告等を担当。その後、国際資本の現KPMG有限責任あずさ監査法人(現アクセンチュアが分離する前のアンダーセン)に転職。日本の上場大手企業及び海外へ投資する企業、海外からの投資を受ける日本企業並びに多国籍企業日本法人における会計税務へのサービスに従事した。 その後、公認会計士税理士事務所の副所長として、多国籍企業への出向にも従事。経理・人事の責任者の役割をし、英文財務報告、企業買収及び上場等に関与した。現在、プライム市場上場企業の社外に取締役に現任。 その間、2女を0歳から保育園に預け、育てあげた。


メッセージ

人生は選択の連続。自分自身が選択した事を、オポチュニティー(好機)として活かすことの大切さを、大学時代に学びました。「努力は人を裏切らない」との恩師の言葉に導かれ、人生の過ごし方について思料する土壌を頂きました。恩師であるゼミの教授の、「30歳から45歳の過ごし方が女性の人生を創る」という言葉は、 その後の人生の指針となりました。総合商社では資源開発のプロジェクトの裾野を広げることに関与し、男女雇用機会均等法施行の初年度に、総合職への転換試験を受けました。その後、両親の介護の為に、退職を決意。50代半ばで急逝した父の言葉を胸に、有限の人生を一生懸命全うしなければと、改めて思いました。

2番目の勤務先の監査法人では学びながら会計税務に関わる業務を目指す舵を切り、結婚・出産と重なりましたがプロフェッショナルになるという選択肢を選びました。共学大学出身の同期が多い中、英語に強い女子大学出身とのことで国際的業務のチャンスも頂きました。会計やコンサルティングの業務は裁量性や納期、成果物の責任を求められる代わりに、子供の乳幼児期・小学校時に働く時間帯の調整をしやすい面を持っており、この歳になるまで仕事を続けることが出来ました。女子大学で学んだ姿勢の特性が有利に働くこともありました。また、国内外の実業の場において、多くの活躍される卒業生の方々に出逢えたことでネットワークが広がりました。受験生の皆さんが大学の選択に悩まれたら、津田塾大学(女子大学)で学ぶことのメリットを積極的に考えていただけると選択肢の幅が広くなると思います。

津田塾のミッションステートメントの一節「不安を、勇気に」は、モットーと共通したところがあり、親近感を覚えます。またオリンピック・パラリンピックなどの競技大会の選手達のインタビューで「犠牲を払ってきたが今こうしてこの場に出られたことを全ての方に感謝したい」という言葉がありました。大きな夢に向かって努力を重ねることが最良の選択肢であることを、彼らは教えてくれました。津田塾の真面目な気質である「努力をすること」は人を裏切らず、思いがけない場へと繋げてくれることもできる時代です。

これまで関与企業に対して英文会計報告や企業買収なども含む企業が発展する段階で発生する特有の問題をサポートして来ました。その流れで6年前より、上場企業の社外役員を3社務めてきました。現在、世界の基幹産業に貢献している日本の大手産業機械メーカーの社外取締役に就任中です。日本は資源に限りがある国家ゆえ、技術、ノウハウ、金融等の総合的な知見を結集し世界における産業の立ち位置を築いていかざるを得ません。そのような企業を支えている優秀な女性社員が数多くいます。その現象は公的機関・教育現場・あらゆる組織で見受けられます。若い世代が安心して日本国や日本企業を選び、世界の各地で人として住んでいける様にと願いながら、世界の多くの世代に喜んでいただける企業価値と脱炭素化等の貢献を考えて参ります。

政府と企業が一体となり女性の社会進出を推進する時代です。一方で家庭運営、ボランティア活動等を通じ女性の持ち味を各所で発揮しておられる諸先輩、同期、後輩の方々に同窓会等を通じてお目にかかってきました。女性の存在価値は働く面だけではないと思います。津田梅子先生が5,000円札の顔になることでその存在価値を具現化しつつ、ウクライナ・中東問題に基づく世の中の「不安」を皆で力を合わせ、社会の方向性に「勇気」をもって変えていく未来の若い方々への橋渡しを一体となってできればと思います。

若い世代の夢の世界を繋ぐことが、大学への恩返しの一つだと考えています。 津田で学ぶことを選んだ学生さんを、「あしながおばさん」として見守り、応援します。

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