2022/08/15

慶應義塾大学
理工学部機械工学科 教授

数学科/1987年

2022/08/15 時点

プロフィール

卒業後、名古屋大学大学院工学研究科博士課程前期課程航空工学専攻へ進学、1989年3月修了。株式会社リクルートへ就職し、スーパーコンピュータ研究所にて2年間勤務。その後、名古屋大学大学院博士課程後期課程へ進学し、1993年9月修了。博士(工学)取得。1993年10月から文部科学省宇宙科学研究所にて日本学術振興会特別研究員(PD)。1995年4月、慶應義塾大学理工学部機械工学科へ助手として採用され、1997年4月から専任講師、2001年4月から助教授、2008年4月から教授。専門は、圧縮性流体力学、燃焼工学、コンピュータシミュレーション。


メッセージ

小学生の頃から、将来は宇宙開発に関係する仕事、できればロケットを作る仕事をしたいと考えていました。子供が考えることですから、絵本で見た月面開発の絵からのインスピレーションです。でも、幼心に夢見たことを実現するためにはどうしたらよいのか。私は手探りで歩み始めました。

津田塾大学4年になり卒業後の将来を考えたとき、「私は何をしたかったのか?」と考えました。私は、「航空宇宙工学を勉強したかった。」ことを思い出します。そして、自分が老いたときや死ぬときに「航空宇宙工学を勉強したかった。」と言い訳をするのか、と思うと恐ろしくなったのです。そのとき、偶然、大学にある数学科の建物に掲載されている貼り紙に目が留まりました。名古屋大学大学院工学研究科航空工学専攻からの案内で「理学系学科から学生を募集しており、入試問題もそれに対応するものを用意している」という内容です。正に、渡りに船。大学入試以来の猛勉強で名古屋大学大学院に入学することとなりました。のんびりとした数学科とは違い、ピリピリとした研究の日々が始まりました。自分の不勉強を嘆き、頭の悪さを呪い、2年間の修士課程を終えました。その後、一般企業へ就職し3ヶ月間米国へ滞在するチャンスを得て、「やはり博士号は必要」と気づきました。2年間の企業経験を終え、名古屋大学大学院博士課程へ戻ったわけです。そこからは人生が掛かっていますから、日々勝負の研究オンリーです。その甲斐あって、学位取得後のポスドクを経て、慶應義塾大学理工学部機械工学科へ就職が決まり、現在は教授として働いています。その間、自分の不勉強を嘆き、頭の悪さを呪った私が、どれほどの努力をし、仕事漬けの日々を過ごしてきたかは、自分でも信じられないくらいです。博士課程に入るまで、まともに勉強をしてこなかったつけが回ってきたのだと納得しています。

日本における工学の分野では女性研究者の数は少なく、女子学生は10%にも満たないのが現状です。しかしながら、亀の歩みかもしれませんが、徐々に状況は変わっています。私は、自分のやりたいことと性別を関連づけて考えたことはありません。このことは、津田塾大学という女子大で、優秀な女子学生が大勢いたことが背景にあるように思います。その中で、全然勉強をしなかった駄目女子学生であった私ですが、自分の欲望には貪欲に邁進して人生を過ごした、ということかと思います。2020年には日本航空宇宙学会会長(1年任期)となりましたが、女性初・私立大学初のことです。女性が殆どいない男性の中を、思いっきり先陣を切って走るって面白いじゃないですか。今後も、疾走したいと思います。

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